ここにきて2コ持ち

ガラケーの頃もスマホになってからも、もしくはガラケー&スマホという複合ワザの2コ持ちがチョットだけ流行ったよね。
今はどうしていますか?
母より。

ぢゃない、
iPhoneが便利に成ればなるほど、その用途がビジネス方向に傾いている方も少ないくないと思われる今日このごろ。
アタクシもなんだかんだで、ケータイでインターネットが出来て音楽も聴けてゲームも出来るFanなガジェットとしてiPhoneを使い始めたのに、いつしか仕事の電話、メール、ツール、web手続き、計算、リモート等々、とてもぢゃない、ハナクソほじりながらアハハとゲームしたり音楽聴いてる場合ぢゃないぢゃない?
まったくよぉ 楽しいiPhoneが全然つまんねぇでやんの。

だが最近は2コ持ち。(すごく今更感あるけど…)
仕事用に死後硬直しているiPhone6sと、先ごろiPhone8PLUSに機種変して余った嫁さんのお下がりのiPhone6PLUSでござる。
仕事用のiPhone6sはもっぱら嫌な電話とか仕事をする専用だけど、6PLUSは完全無欠のFan仕様。
データ通信は出来るけれど電話などとゆう旧態然とした古いテクノロジーの奴隷にはならないぜっ!
今日も楽しくアハハとAnchorの録音だバーロー。

慢性満腹症

物語の中で 「なんだ おまえ腹減ってんのか?」

なんてゆう場面が昔はあったんだけど、この平成の世ではそのようなシュチュエーションも、またそれを再現したとしても嘘臭く映ってしまうのだろう。

みなさん今日もお腹は満腹ですか?

生き物の中で常に満腹状態なのは人間とその周りのペットくらいのものだ。
生きるという言葉を難しく解釈すると答えが出難いので、単純に「食うこと」と仮定し、その為に生き物は行動しているとするならば、人間はもう生きる意味を失っている。
いつも満腹なのだから。

生き物の進化の過程で食べることを疎かにするわけにはいかず、如何に効率よく「食うか」というのは命題だ。
だが「食い過ぎ」という満腹状態はソレ以上に異常事態で、注意するどころかそれが慢性化している今の世の中は、間違いなく人間を死へ近づけていると思う。

空腹の時間はとても大切なのだ。

siriの大問題

iOS11で少しはマシになるのだろう?と思う反面、出来なくなること、また全く手を付けられていない部分はそのまんまなんだろうと思う。

大問題である。
この大問題は正確に記述すると

 問題

と書く。
皆さんお手持ちのsiriのこう話しかけてみてほしい
「ひろしさん」と

どうでしたか?
siriはどう答えましたか?

(※ひろしもんだい なんてゆってみるともっと笑える)

名前、それは燃える命、ひとつの地球にひとつずつひとつ…
ええ歌ぢゃ。
それぞれ名前は沢山ある。だからsiriに一言一句間違わず自分の名前を呼んで欲しいとは思っていない。
もともとそんな優秀ではないのも知ってる。

が だ。

流石に「大」はないだろ、大は!

せめて ひろし とか 浩史 とか Hitし易い、もしくは誰が見て読んでも「ひろし」って分かるひろしあるだろ?
もっと言わせてもらうと、アタクシはiPhoneのオーナーであって、iCloudの登録もAppleのアカウントもちゃんとしてて、住所録にはちゃんと自分の名前「ひろし」がシッカリくっきり登録されている。
そんなところですら未だにAppleは手を付けないし、アップルケアサポートに時折この問題を提示するが、誰も相手にしてくれないので当然一向に改善される見込みはない。

その点Googleは常に素晴らしい。
音声認識もバッチリ、検索結果も的確、安心してその用途に使える。
Appleはハードだけ作ってりゃ良いとすら思えるくらいアプリの出来は断然Googleの方が素晴らしい。
Appleが提唱するハードとソフトとソリューションでさえ一緒こたというのは素晴らしいとは思うが、出来んのならユーザーを巻き込んで困惑させるのはヤメてくれ。
MicrosoftのようにOSと主要アプリだけ提供してあとは他のアプリ開発会社にまかせてどんどん薄っぺらくて壊れやすいiPhoneを作ってりゃいい。

さて今回も一応実験くん

WordPressってもともとどんなメリットがあんだ?忘れちまったよ。


てなことで、またまたまたまたたままたまiOSのWordPressアプリのアプデ。プププだな マッタク。

気にしすぎる人間

気にしすぎる人間です。。。 意外でしょ?

でも気にはしますが指摘されたところを修正するつもりはないんです。
それは自分自身の選択だと思っているアンチでニッチなややこしい人間なんです。

ふざけて人にちょっかいを出すことはままあるんです。
でもそれは100%冗談で、それをどうにかして欲しいなんてサラサラ思ってない、もしくはそのコトガラをあまり真剣に考えてほしくないのです。
あくまでおしゃべりの中で出てくる言葉遊びだから。
だって趣味趣向行動理念は人それぞれ自由なんだもの。各個人がスキにやれば良いんです。
スキに理由は無い。

AppleWatchをしているのが少し辛くなってきました。
当初iPhoneの通知よりかは幾分和らぐ感じでしたが、腕に付けているとだんだん「気づかざるをえない」んですね。
iPhoneの場合は気づかないこともあって後から「あっ…」みたいなことは起こりますが、それでも気にしすぎるタイプなのでリカバリは直ぐするわけです。
自分を楽にするためにAppleWatchをしてて、電話、メール、LINE、facebook、twitter、Instagram、その他通知。。。
腕に付けているAppleWatchがブルルとする度に、

ん???

と気になって腕をクルンと返して要件を見るんです。
最初の頃は iPhone → AppleWatch → 自分 という具合に通知されて
iPhoneと自分の間に AppleWatch が入っていてくれたので少しクッション材の代わりになっててくれたのですが、慣れてくるとやはりダイレクト感の方が大きいんです。

暫く机の隅っこでAppleWatchは休んでてもらうことにします。
また不便に感じるようになればすると思います。
今はなんだか気が滅入ってしまって…

お金かかったの?

これがアメリカっぽい表現なのか、Appleから先日のiPhone交換ピックアップサービスの修理完了通知が届いた。

お客様の製品をご送付いただき、誠にありがとうございました。お手元にお届けする交換品にて Apple 製品をお楽しみください。

修理をお申し込みいただいた製品: IPHONE 6S
修理 ID: D2456ホニャララ

よろしくお願いいたします。
Apple サポート

サポートセンターへ電話した時の会話は、
「強い衝撃や水ぬれが有った場合は有償修理となります。」
と不吉な文言を残して電話を切ったくせにこのメールには何も書かれていない。
何も書かれていないということは恐らく無償修理と考えれば良いのだろうと希望的観測を優先してしまうが、分かりやすく

「銭はかかって無ぇよ」

とか買いといて欲しいわ。

大岡裁きを期待している

iPhone6sのマナーボタンが効かない。

iPhoneの着信音とかメール受信の音を大人なので一時的に消さねばならない時にポチッと引き下げるあの有名なレバー。
引き下げても中でバネがイカれたのか下まで押し下がらず戻って来てしまう。
つまり壊れている。
(知らん間にな…)

こんな壊れやすい携帯電話を未だに作り続けているAppleという会社は実は大した事ない会社なんぢゃないか?ってココ数年密かに思っているというのはApple信者の居ない場所でゆわなきゃいかんのだろうけど、マジでカッコだけと言えばカッコだけの宣伝上手な会社である。
それでも総合的に見るとApple製品は魅力であるし、また恥ずかしながら全てをソレで賄ってきてしまっている歴史があるので、そう安安とAndroidには移行できないジレンマもある。

さて、愚痴はこれだけではない。
そのマナーボタンが壊れたので朝イチでAppleCareサポートへ電話してピックアップ交換サービスを願い入れた。
2年前までは「ホホホイのホイ」でAppleCareプロテクションのパワーもあり、なんのタメライも無しに新しいiPhoneが玄関先までやってきて、壊れたiPhoneをドナドナするというシンプルな禊を執り行うのみであったが、最近はどうやらそのAppleCareプロテクションに改定が入っている模様だ。

「お客様のiPhoneが強い衝撃、または水濡れで壊れている場合は有償修理となりますのでご了承ください」

え?

何ソレ?

AppleCareプロテクションという保険にタップリお金つぎ込んでいるにもかかわらず修理代取んの??
ってことだ。(12,000円くらいかかるってさ)
因みにAppleCareプロテクションに未加入の場合はどうなの?と訪ねてみたら

「もっとかかるわ」

と一蹴。
まったくもってオメデタイ保証だなと一瞬カッとなったが事訳が良い方なので直ぐに冷めた。

次期iPhoneからAppleCareプロテクソなんて加入するもんか!と腹を括り、またAppleへの熱もどんどん冷めている自分に気付かされるヒロシであった。

評価とかを気にしないほうが良いのかな

あのイマイマシイ1件があってからというもの、、、とゆうより、男の更年期も重なってか、すっかり体調を悪くして気分も優れず、自己診断では「うつ病」なんだけど、心療内科を受診したら「まぁ普通にあることですから気を落とさず」と慰められついでに少量の睡眠薬の処方箋をもらうことになるだろう。

あれだけ「いいね!」をもらうSNSへの投稿は、すっかりInstagramのリンクを貼るのみになっちゃったし、そのInstagramも「いいね!」欲しさと仲間はずれにされない為の「いいね!」を送ることにつかれ、好きな時に好きな写真を貼って、ホントにドキっとなった写真にのみ「いいね!」するようにした。
気づくのが遅いかもしれないけど、若い頃 ナゼおっさん達はあんなにくたびれて元気がないのだろう?と思ったものだけど、今その状況になってやっと
人生は結構過酷だ
と感じる。

このdroboで管理してるWordPressの良いところは、誰も見ていない(と思うけど…)ことだ。
GoogleやYahooにリンクを貼ったり、Search出来るように設定はしてあるけど、まったくもって検索結果にhilo4dailyはひっかかってこない。
当初は悩んだけど今はとても好都合。ほとんど自分自身の日記帳だ。
よしよし この調子で好きなこと書いて好きなように更新し続けよう。

あ と思った時にすぐ聴ける環境 GooglePlayMusic

  1. 竹原ピストル forever young

妙に感じてしまった曲であります。
すこし前ならiTunes で楽曲購入してたんですが、サブスクリプションのGooglePlayMusic があるので、まず検索してみる。

するってーと有るのよね、やっぱり。
毎月780円でほとんどの楽曲聴けてしまう。

 

実際消費者としては安楽で便利で喜ばしいが、生産者としてのアーティストの方々はどうなのだろうか?
20年以上前は曲を聴きたきゃCDを買った。それがmp3というカタチの無い販売方法に変わり、そして今はカタチも無いし1曲単体としての値段も無い。
何なんだろう? 便利というものは…