生後半年で実弟が病死
姉も健全で産まれていない
私も気が付けば片腎だしがんだしまだ隠れてる病気も恐らくある
小学生で横断歩道を横断中脇見運転の車にはねられ半年入院。
高校生の時、血尿が出て調べてみると片腎で尿管狭窄、水腎症がわかった。
結婚は辛うじてしたが新築の家を買ったが隣に重度のアスペルガーと精神疾患を持った隣人に追い出され借金だけが残った。
仕事もギリギリだったが希少がんに罹り辞めた。
そこからは地獄だ。
もう死にたい。
hilo4daily… Wordpress made with Drobo
I want to find a small seed of hope
生後半年で実弟が病死
姉も健全で産まれていない
私も気が付けば片腎だしがんだしまだ隠れてる病気も恐らくある
小学生で横断歩道を横断中脇見運転の車にはねられ半年入院。
高校生の時、血尿が出て調べてみると片腎で尿管狭窄、水腎症がわかった。
結婚は辛うじてしたが新築の家を買ったが隣に重度のアスペルガーと精神疾患を持った隣人に追い出され借金だけが残った。
仕事もギリギリだったが希少がんに罹り辞めた。
そこからは地獄だ。
もう死にたい。
子供ではないからもう死んでも良い歳かもしれない
もう生きるのに疲れた…ただこの一言
生きてれば良いこととがあるとは言うものの悪いことや辛いことの方がはるかに多い
生きている自分にジワジワと違和感を感じ始めるし今ここで死んだとしても数名悲しみの感情が湧くだけで世の中に何の影響もない
生まれてきたその日は祝福されるがそれ以後は生きているだけで辛いことの繰り返し
【追追補】20230501 10:40
今更だがdrob-wordpressのeditorは外部接続でも編集が普通に出来る。
【追補】20230501 10:32
これは宅内Wi-Fiが届かない近所の環境下でiPhoneをVPN接続をしてテザリングしている状態で宅内のdrobo-wordpressで編集している。
WindowsはPPTP接続のほうが親和性があるらしい。
事前認証KEYのL2TP/IPsecだとセキュリティではじかれたりリモート側で切断されたりする。
これはiPhoen12miniや8、AndroidマシンでもVPN接続をL2TP/IPsecで試して何の問題もなくスムースに繋がったのにWindows11で接続を試みると全くダメなのだ。
基本PPTPみたいなグローバルからローカルで変換して繋げるなんてイミフなやり方ではないのでダイレクトにスムースにつながるはず。なのに
しかしここで考えを変え予めiPhone12miniでVPN接続を確立しておいて、そこからWindows11とはbluetooth接続でテザリングしてみた。
結果としてこうして自宅内のdrobo内のWPのeditorをダイレクトに叩いている。
ネットワークの接続ってやつはこれだから面白い。
このblog同様、YouTubeもごっこで終わりそうである。
twitterやFacebook 、そしてblogをやっているけど、YouTubeほど配信してその見返りが少ないコンテツも珍しいと感じている。
もちろんクオリティだとか構成だとかカテゴリだとか諸々の宣伝拡散だとかあるのだろうけど、素人がぼちぼち始めたとしてもぼちぼち反応やフォロー・フォロワーの関係になったりする体験が多いがYouTubeだけは例外。
もう少し言えば一つの投稿をするに要する労力(時間・機材・私財)が他のSNSやSMCとは桁違いに大きいわりに反応されないものはほぼ反応されない。
約半月経過して18本の動画をアップロード。
つまり1日1本以上動画を上げているのにたった12人しか登録されない。
箸にも棒にも引っ掛からない他愛もないtweetとしても1つか2つはいいね!やらコメントが入るのにYouTubeは全く音沙汰がない。
集まるカテゴリや興味を引くサムネや効果音、FinalCutProでの地道な編集などなど日々ブラッシュアップを重ねていることは勿論のこと、今までにない以上に打ち込んでいる。
なのに全く。
そこでもっと面白く!と前を向く強いメンタルがあれば良いのだが、正直もう心が折れそうだし、自分の無能っぷりが恨めしくYouTubeに”意味”などという要らないものまで求めてしまう心境だ。
YouTubeは素人がやると火傷するコンテンツに変わりつつある。(いや もう変わってる)
とりあえず始めてしまった手前、一ヶ月程度で音を上げるのは格好悪いのでせめて半年、メンタルが持ち堪えられれば1年だけは続けてみようと思う。
ただ、これもデジタルタトゥーなんだよね。
余計な情報と滑稽な姿を無人駅で晒している。。。 そんな気がする。
手元にあるのは恐らくseries6だと思う。
黒のアルミケース。
プロテクターも保護シートも貼ってないのでところどころキズがついているけど致命的なものもないし、誰かに「はい」ってあげても「ありがとう」って言われるレベルだと私的には思う。
充電しなくなって半月くらい、、、 や、1ヶ月くらい経つかな。
これくらい時が経つともう”要らない物リスト”の仲間入りだ。
あんなに欲しくて買ったくせに。
Appleは高価だが、買った時から暫くそれなりに興奮をくれる稀有なメーカーだ。
AppleがまだMacintoshを売っていたころだからもう30年くらいApple製品のどっぷりだったけど最近はなんだか荷が重いというかヘビーデュティー過ぎて扱いが難しい。
実際キッチンのiMacのOSはジェネレーションが2つばかり前だし、メインで使っているiMacはこのように稼働中だが、OSは前バージョンのままアップデートは打ち切られている。
それでも使えてしまう。
電化製品ならまだしも情報機器だぞ。
良くも悪くも製品寿命が長すぎるんだよ。
OSがバージョンアップ打ち切られてるのに、フツーの使い方なら全然現役、調子に乗って動画編集なんかするとCPUもメモリーも追っつかないからよくフリーズするけど、それでも他のアプリを並列処理していなければ1本の動画を作成するまでは持ちこたえてくれる。
良い子だ。
言わずもがなiPhoneだって、今春 大学生になる息子は流石にお母さんのお古のiPhone8PLUSではスペック的にも見た目もモデルも古いから14PLUSに換えたけど、私のは12mini、妻のは11PLUSで全然現役。
さぁ、ここにきてAppleWatchだよ。
AppleWatchなぞ外回り営業ならばスケジュール管理やら電話やらメールやら健康管理やら使い勝手は多岐にわたるが、もう完全隠居の身ではWatchはブルっとも震えない。
時間を見るためにわざわざ充電をする妙な腕時計になってしまった。
決して性能が落ちたわけでもOSのバージョンが切られたわけでも故障したわけでもないのに全く不要の長物になった。
身辺を見回すとそうした物で未だに溢れている。
ビジネスバッグもスーツも靴も筆記具もパソコン、その他周辺機器、カメラも、、、
要らないわけぢゃない。
要らないと感じる自分が居るだけだ。
YouTubeを開設した。 ことは表向きにも公表してるけど見てくれてる人もいるという事実と、当たり前だが数字は思ったほど上がらないという現実。
これは思考がそうなのか欲をかきすぎるのかアップロードすれば意外にも反響が有るのではないか?と期待値高めになってしまう。
勢いも大切。と思い一気に数本上げてみたけど結果は散ざんたるものだった。
しかしだ。
期待値高めの希望を抱くより、兎に角 ほぼ毎日ペースでアップロードしてみたらどうだろうか?
欲を出さずまずは打席に立つだ。
無能な自分にはそれしかない…
後ろ向きではなく本当にそう思ふ。
国も働ける人間と働けない人間とどちらが欲しいと問われれば前者だろうし、家庭でも父親は働いのいないといけない。
どちらにも該当しない自分はもう死んだ方がいいな…
かなり前から死のうと考えていたけど、明確な答えがなかった。でも冷静に判断すればやはり生きている価値はないし生きれば生きるほど世の中の負担にしかなってないことに気が付いた。
オーバードーズやビニール袋も考えたけど、恐怖感マックスの首吊りが安全確実だな。
その前に身辺整理をしないといけないから今月末は忙しいな。
がんと付き合いはじめてもうすぐ5年目にさしかかろうとしている。
ネガティブなことをブログに書き留めることはなんとなくタブーとしていたけど、どうせ誰も見てないブログなのでもう書くことにする。
「死にたい」と思い始めたのはやっぱりがんにかかってからかもしれない。
そしてそれは今も消えない。
がんに罹って治らない難治性の高いがん患者は毎晩寝るときに死神が添い寝しているのと同じで「死」というものが頭から離れない。
それだけではなく現実としてがんに罹ったら自分以外の時間はストップすることなく、否応無しに仕事、経済、生活といったものが漏れなく剥奪される。
そこから困窮の日々がスタートするのだ。
誰も助けてはくれない。
私は家族が居るのでまだ今現在は助かっているが一人だったらやっぱり自殺するだろう。
がんと鬱。この関係は大変興味深い。
がんの学会でも発表されているようで、がん患者は凡そ20%〜40%の確率で鬱になってそのうち自殺するみたい。
もしかしてセット?と思えるくらい私もバッチリ鬱だ。
うつ病と診断されることもあれば、私の場合は否定形うつ病という格好良い病名だけど、よーするに鬱です。
よく泣くし、よく死にたがるし、よく落ち込むし、よく動けなくなる
もう人としてどうしようもない状態になる。
でも誰も助けてくれない。
経験則で物を言うけど、精神科とか心療内科って鬱を治すところぢゃなくて、かろうじて会社に努めている人や社会と関わりがある人が聖なる書類である”診断書”を書いてもらう為の機関であることを忘れてはならない。
本当のうつ病患者はただ単に強めの薬で日々の活動を鈍化させられるだけで、根本的な治療やカウンセリングは無いと思っていい。
だからかな?毎日死にたい。
でも死ぬのって凄い大変だしビビってちゃ死ねないんだ。
なかなか死ねない。
そのうち死ねるかな?
最近はそんな風に思うようにしている。
生き方なんて自分で決めればいい。
生きたくなければ生きなければいい。
人生の途中で何で生きなければいけないのか分からなくなった。
本人は生きていたくないのに周りは死ぬなとゆう。
一体生きるとは何なんだ。
クリスマス寒波と同時にサンタが町にやってくるらしい。
また今年も終わってしまいますね。
物理学では時間が逆回転しないのは不思議なことだそうで、逆回転出来ればあの時あーすれば良かったとか こーすれば上手く行ったのに… なんて後悔も増えそうで勘弁してもらいたい。
今更ながら今年も家族や友達、知人や社会の皆様に精一杯縋り付きながら生きた一年だったと思う。
でもそれを自分で許すことが出来るようになったのは良かったことだ。
家庭を持ち仕事を持ち健康で何不自由なく暮らしていた時も有ったけど、その時もそしてつい最近まで今の自分を許せていなかった。
人は、いや少なくとも大人は誠実で賢く世間一般のそうであるべき姿に極めて近く生きていくことが正しい。そう思っていた。
今年のはじめショッピングモールの駐車場で全然動かないタクシーを見た。
そのうちそのタクシーを赤色灯を点灯させたパトカーが囲み暫くすると複数の警察官が後部座席から項垂れた初老の男性を抱きかかえて下ろし、そのままパトカーの後部座席に乗せて署に向かった。
恐らく無賃乗車だろう。
年始めのお正月、ほとんどの人が希望と喜びで満ち溢れ新しい年を迎えてワクワクしている場所で少し騒然となった。
ガヤガヤしている人々の中、私はボロボロと涙を流して泣いていた。
なにもかも嫌になり消えたい。
そんな思いで失踪未遂をしたり自殺未遂をしたり。特に妻には大きな心配をかけて申し訳なかった。
自分が許せなかった。許せないくせに何も出来ない自分はもっと許せなかった。
なんとか 今日という日を生きることを目標に暮らす。
ただそれだけを思って今は生きています。