外へ出かける

今朝は息子が1103が住む京都市伏見区に県陸上競技強化合宿(一泊二日)へ出かけ、嫁さんはいつものように仕事。
毎日ホリデーのアタクシはぼっち…


予報通り雪がチラチラしてきた。
普段だったらこんな寒い日は宅内の冷蔵庫を開けて、何か食べられるものを探すか作るかして昼食を摂るんだけど、毎日ホリデーだし暇だしぼっちなのでモコモコに重ね着して外に出かけてみる。
と言っても隣のAEONなんだけど。。。



不思議とチョットした普通が今は特別感がしてて、雪が降るとしばらくベランダの窓を開けてその冷たさとチラチラとゴミのように消えていく雪を見て喜んでいる。
なんてことないんだよ。 なんてことないんだけど、毎日朝目覚めて今朝も生きていることをいちいち自分に確認して今日も生きようと意気込んで家族と食事をして普通の人に少しでも近づけるように頑張っている。
なんかバカっぽいなw


それでもね、この病気になって良いこともたくさんあった。
本当に大切なのは家族だとか、古い友人はみんな優しいとか、右手を上げようと思って右手が上がることとか、生きるって心を燃やすこととか、、、
知ってるようで知らなかったことがわかったよ。

引き出しから出てきたコレに癒やされた

今回の諸々の騒動については後日語るとして、約1ヶ月間に及ぶ入院生活では苦痛と退屈との戦いだった。
点滴や心電図や尿道のカテーテルで繋がれ身動きがとれない狭小ベッドで半月ほど寝ていると背中や腰や股関節やいろんなところが痛んだ。。。
2週間も過ぎるころ、心電図が抜け、尿道カテーテルが抜け、点滴が抜けてコードレスになった。

人はコードレスであるべきだ。

コードレスに成って以降もいろいろとあったけど、そうなってくるとベッド上で過ごす時間が長くなる。
時の流れが通常の3倍くらいだろうか? 病院の1日は長く、夜は全然寝られない。
1日中観るテレビはCHを変えてもどの番組も繰り返しのネタ、毎朝売店で買ってくる朝刊も隅々まで読んでも1時間ほどで完読、女性自身、monoマガジン、週刊文春、、、読み飽きる。。。
そして思い出した古の暇つぶしマシン。

ゲームボーイミクロ

任天堂のGBから始まる末裔のハンディゲームマシン。
これでポケモンやら遊戯王やらをプレイしたチビッコたちも多いと思うが、ファミコン世代のオジサン連中にもとても馴染み深いソフトのラインナップが盛りだくさんだ。

今どきはスマホゲームもたくさん有って、ほとんどの人がそれで楽しんでいるのは間違い無いのだが、病床でケータイ電話(電波がつながる)はご法度。
かと言ってオフラインゲームマシンを考えてもNintendoSwitchもオンラインがありきのシステム構成だから、2018年に楽しく遊べるオフラインマシンを探すのは至難の技だ。
だが、我が家の引き出しの奥底にゲームボーイミクロが眠っていることを思い出し、嫁さんが見舞いに来たときにパンツやタオルの着替えをお願いするよりも、引き出しのゲームボーイミクロを探してほしいと懇願した。

ある場所にあるはずのゲームボーイミクロはなかなか見つからず探すのにかなり手こずったらしい。
現物は息子が持ち出していてバッテリーが干上がった状態で発見されたのでACアダプタとソフト数本を病院に持ってきてくれた。

何年ぶりだろう?5年以上、、、いやもっとか?
多忙と過ぎ去る日々の早さにスッカリ忘れ去られたゲームボーイミクロ。

やはり最初に起動するのはスーパーマリオブラザーズであろう。
ご覧の通り手の中に収まるくらい小さなゲームマシンだから老眼が進んだ目には辛かったけど久々にステージ3-2で「無限増やし」が出来たのは自分でも驚いた。
そこからはもう毎日ゲーム三昧。
しかもポッケに入るほど小さなマシンだから病床ぢゃなくても病院内の談話室だったり、午後の診療が終わったあとの長椅子に座り込んで何時間とプレイした。
グラフィックもゲームの緻密さも内容も単純なものだけど、ゲームの本質は今も昔も変わらない。とても楽しめた。

退院して手元のiPhone8と比べてみたけど本当に小さくて可愛い。

本当に癒やされた。
懐かしく温かい気持ちでゲームに没頭出来た。
距離が近くなる老眼とスッカリ衰えた動体視力と反応だけど、ちゃんとクリア出来るゲームタイトルもある。
50歳を手前にしてあらためてこんな小さなゲームマシンに恋をした。

久しぶりにのぞいた35mmのファインダーは少し狭く感じた

X100Fが修理から帰ってきた。
実に2週間ぶり。
使い込み過ぎて塗装が剥げてた軍艦部とファインダーもまるごとアッセンブリー交換になったので、ハーフ&ハーフで新しくなった。
修理に出した直後くらいに自分の身体を修理に出すだなんて想像もしていなかった。



今日はいろいろあったこの2週間の中でもしかしたら一番清々しくそして穏やかな気持でいられる。
昨晩は携帯電話の電源を切って寝た。
この先更新出来るかどうか分からないので手っ取り早く書きます。


処方された薬の相性が良いのか日中ズッと苦しんでいた果てしなく続く微熱や所々の痛みも軽減され、普通の生活がなんとか出来る。
症状としてはあまり芳しくない。
それが良いものか悪いものか、もしくは予後がどうなのか現時点では分からないので週明けまた続く検査をして切除するのか、またどのくらい切除するのか、もしくは切除できるものではないか… そうゆうことを話し合い、結論づけてゆくしかない。
まな板の上の鯉とはまさにこのことだ。
自分の人生が案外簡単に決定してしまうという恐怖が大きい。
最初の診断を受けて、まずやったことが情けないかな その時の準備だ。
さまざまなログインIDとパスワードを書き出し、必要の無いと思われるサブスクリプションを解約し、大切な書類や公的証明を分かりやすいところに移動させ、銀行口座の資金を当面引落がかかるであろう口座に割り振った。
自分で墓穴を掘り進めていた。
その準備をする前に生きるための準備があるだろうに。

当然仕事は続けられない。
所属会社からはこちらの身体の心配より、今取引のある顧客の流出を防ぐための話を急務にしたがっていて、身体的に辛いが更に追い打ちをかけるように精神的にとても辛い。
今更だけど、この歳まで続けている仕事という業は、自分の人生のごく一部のように思えるが、実際のところ自分を構成する凡そ八割くらいに相当していることに気付かされる。
健康を害し、仕事も奪われ、そんな状況になった。


しかし、人は生きることを選ぶ。
生まれて初めて 生きたい と叫んだ。
身体の何処か一部が無くなろうと、今後それが困窮する状況になろうとも、予後がどうあれ、家族の顔を見て毎日過ごしたいと思う。

今、一番苦労をかけているのは間違いなく妻であり、気丈に振る舞い、弱音一つは吐かず、いつもと変わらない態度で自分に接してくれる。
あらためてこの人と結婚出来て良かった。
ありがとう。

どっちかの夜は昼間な件

ダサかっこいいでブレーク中のDA PUMPのU.S.A。
何気に一人で「ゆーえすえーゆーえすえい」と呟いちゃうことも結構あるんですが、それはおじさんだけでは無いらしい…

すでにTVで放映されているらしいんですが、アタクシはTV視聴時間が極めて短く、かつ芸能関係にあまり興味がないので知らなかったんです、
もっぱらTV視聴の時間をパソコン画面に向かってblog投稿やらSNS、ストリーミング音楽や、YouTube視聴に使っておりまして、ほんとたまたまなんですが見つけてしまいました。

インコがU.S.Aを歌っている動画

最初はその不器用な姿にケラケラと笑っていたのですが、カゴの中で一生懸命、
ユーエスエー、ユーエスエー 、カ、カ、カ、、、
と練習している姿を見てちょっと感動してきまして

カ、カ、カ、カ  カーモンベービーアメリカ…、、、

と、上手に言えたのを見て

よくやったピーコちゃん!
(多分名前違うw)


心から拍手を送ってしまいました。
カワイイなインコ。

今更キュンとなる

君を見上げて

NHKで放送されていたのをどうゆうワケだかオボロゲながら憶えていた。
実際放映されていたのを毎週楽しみに観てたワケでもないんだが、
ほんのちょっとだけ観て「あ、似てるな」と思ってたんだ。
そんなDVDをお盆休み中にヤフオクでたまたま見つけて手に入れた。

知人の中では有名だけどうちの夫婦は年の差カップルならぬ身長差カップル。
コミックで「かぼちゃワイン」とか「ダッシュ勝平」とかを思い浮かべてもらえば良いかなw
ここでわざわざ暴露する話でもないけど、あらためてお互いの中で「差」があるにもかかわらず思い切って結婚したものだと思う。

いろいろな「差カップル」ってのがあるけど、見た目以上に見た目の差が分かりやすいのが身長差カップルで、本人たちが隠す事も出来ず、また周りからも結構イタイ視線を送られつつ過ごしたあの頃。
街のショウウィンドウに並んで映る2人の姿、鏡、写真、ビデオ、自分たちを客観的に見ることが怖かった。
お陰様とお互いを認め共に支え合ってゆく年月を重ねて自然になった今では、もう何も感じなくなったけど、このDVDを観ると今更ながらキュンとなる。

数多の事象の中ではマイノリティになるけれど、マイノリティだからと それを諦めるのは勿体無いんぢゃないかな。
マイノリティだからこそ他とは違う人生があるはずだ。

世界ひろしDay

今日は 世界ひろしDay です。
昨日決めました。

世の中いろんなひろしがいます。
立派なひろし、そうぢゃないひろし。
でもひろしはたくさんいます。
だってみんなひろしだもの。

ひろしってゆう名前  幼い頃は少し抵抗がありました。
ポチ、たま、ぴーこちゃんくらいありふれた名前で、たいがい親戚筋や知人・友人の中にはひろしっていると思うの。
ひろし、ってすぐ呼ばれる。

ひろしーーーーーー!!
大声で呼びかけてみて。
たいがい「はーーーーい♡」って返事するやついるから。
それがひろし。

ひろしはひろしであることに若干誇りをもっている。
なぜかわからないけど。
ひろしはひろしで良かったって思ってる節はある。
ひろしはひろしだから。

みんなひろしのことを愛していると思っている。
ひろしもみんなのことを愛している。
ひろしは世の中のためにちょっとだけ役に立とうとしている。
ひろしはひはhere we go のひ。

シールの話

しつこいですがシールの話です。はい。

近年のカーディーラーの対応がそーなのか、それともメーカーの違いなのか、いずれにせよ今回我が家で購入したMAZDA CX-8 のリアウィンドウには、あの忌々しい性能表示シールやらディーラーのシールもなく、カタログで見るソレそのまんまのリアビューでとっても好感がもてる。

そもそも炊飯器や冷蔵庫に貼り付けてある、消費電力○○%削減 とか、両開き とか、Wおどり炊き などという余計な性能表示シールって、開封時に剥がすぢゃない?(剥がさない人もいるかも)言ってみればゴミなんですよ。
だいたい購入前に、そうした性能を鑑みて購入に至るわけで、開封時にコレどーですかー?! みたいに貼り付けられていること無駄だと思うんだよね。
ましてや、5年〜10年くらい常用するクルマの、大型で他人から目視されやすいリアウィンドウに排ガス50%削減だの、エコカーだの、ディーラーのシールだの、めちゃくちゃ迷惑ですわ。
広告宣伝費をもらって無いのに宣伝をさせられる身にもなれっつーのw

とあるご年配の方にこの話をしたらば、あのシールを貼っておかないと税金が高くなるとか車検通らないとか、どこでどんな催眠術をかけられたのか、アレを剥がすと違反!くらいの意識があるらしいです。
ま、いいけどね。

ともかく、シールを貼るのは小学校低学年まで!だ。

歳をとると三猿になる

見ざる言わざる聞かざる

三猿

結論として、歳をとると自然に三猿になるのだな… いや、違う
若さを失ってしまったのかもしれない。。。(‧⃘︠˾ͨ̅‧⃘︡˒᷅̈́)

気がつけば結構な歳をとってしまって気がつくワケです。
昨今は多種多様な文化や感性を持つ人々が己の考えを全世界に向けて垂れ流し共有するSNS全盛時代でございます。
老若男女が日々の細やかな喜怒哀楽をどうでも良い人達と共有するという不思議な時代に突入をしていますが、それはそれで参加せずにはいられないのでボチボチやっております。
ま、そこでの所作としては三猿なんですよ。

見ざる言わざる聞かざるには諸説ありますが、よーは「他人様の傷付くことや面倒なことはワザワザ見なくても良い、言わなくても良い、聞かなくても良い」ってことなんですな。
炎上だ、不適切だ、ハラスメントだと色々と問われるこの時代なのにその火種であるSNSが大繁盛という笑っちゃう世の中です。
facebook、twitter、YouTubeはもとより、写真ありきのinstagramですら投稿した画像に対し、見ず知らずの人が無意識にディスるコメントを入れているw。
もしかしたらそうゆう人は、めちゃめちゃウォームハートで他人に助言せずにはいられない優しい性格なのかもしれませんが、最低限 他人のページやコメント欄にはマナーとして褒める言葉か「いいね!」で、それ以上のことは心のどこかにしまっておいたほうが適宜だと思います。
それは今後関係を続ける続けないに関わらず、あくまで自分以外は他人だという根本的な認識は大人であるならば必要だ。

 

私はこういう風に思います。
—-

と、自分が一生懸命書いた自由研究ノートに突如として
「あなたの意見はおかしいよ」とか
「それはダメですね」とか
「私が正しいことを教えてあげますよ」とかって、
見も知れない(知り合いでも同じことだけどな)他人に書き込まれたら誰だって不愉快な気持ちになったり心が傷ついたりしますよね?
「オレは傷つかない!」ってゆうアイアンハートを持ってる人もまぁ少なからず世の中にはいるんでしょうけども、自分の行動や自分の意見を他人から否定や是正されることを多くの人は嫌がります。
ソレは人として自然な感情ですし、生きるうえでもっとも重要な自我を維持する上では大切な防衛本能です。
端的に書き込むなとか人に意見するなとか言っているんぢゃないんです。
ただ、まずは肯定、いいね!からスタートするのがマナーだと思うんですね。
広い世の中ですから明らかに「あぁ〜あ、、、」って思えることをしてる人もいますよ、、、 それでもその人のことをあまり知らない自分が、その人に対して本当の意見を言ってしまうことがそもそも破綻の原因なんです。
正義かなにかワカンナイけど、それを振りかざすことってホントに正義なの?って思います。
いいじゃん全部「いいね!」で。もしくはそう思わなければ「いいね!」しなきゃ良いんだし。

歳とともに、次第にそうゆうことが億劫になってくる。
人と意見を交わすのも面倒だし、人の行動を諌めることも、人の趣味に関して興味を持つことも。
だから老人って言われるようになるのかもしれないね。w

その昔、ゲートボール殺人事件ってのがあったけど、まさにアレはソレで、
かなりの年齢をかさねたのにゲートボールのプレイに関してチーム仲間に意見したり、否定したり是正したりするもんだから、良い歳こいてケンカしたり仲違いしたり果ては殺……、、、ってことになるんだよね。

SNSくらいがちょうどいいね

まぁInternet上に自らのコンテンツを投稿する時点で、丸裸で街をぶらつくのと同じということは理解していたつもりだが、実際ホントにうざいコメントや俺様はお前よりスゲーんだ的などーでもいい書き込みが多すぎて萎えたw
YouTube投稿もしばらく面白くてやってたけど、入ってくるコメントが気持ち悪すぎてさっきチャンネルごと削除しました。

ここのページは自前のdroboん中のCMSだし、httpsで超閉鎖的、おまけにGoogleの検索にすらヒットしないという完全防備と言っても差し支えないほど過疎ってるので都合が良い。
なのでちょっと書く。(←だいぶアタマにキテるw)

まず、相対的に言えることだがYouTubeというコンテンツは配信側はともかくとしてダラダラと視聴し続けている人間は間違いなくリア充ではない。
コメント入れる前に自分から発信・配信・投稿くらいしてみろっつーの。
だいたい見てるあんたの好みに仕上げたコンテンツがバラ撒かれていると思ったら大間違いだし、それを正そうとしてんのか、ソレを書き込むことが正義だと思ってんのか、主観的過ぎてマジ気持ちが悪い。
趣味趣向や考え、生き方、政治、宗教、年齢性別、世帯の有無も含め、人はそれぞれにすべてが乖離してたり受容できないのは当たり前で、世界は常にカオスなのだよ。
そうゆうことが分からないのだろう、、、恐らくだが友達は極めて少ないだろうし、社会的にも疎外感を感じているのだろうし、少なからずコミュニケーション能力が破滅的。
顕著なのは面識もなく初見で見ず知らずの某名性を盾に、こともあろうにいきなりdisりコメントを堂々と書き込むあたりは流石だな…と言わずにいられない。
また、技術系で人との接触に不慣れ(空気読めない系)と思しき人物は、何処のsourceからひっぱり出してきたのか、公然とお前の意見は間違っている、俺の意見が正しいとばかりに、そのカテゴリにおける経過年数、精通度、熟練度、聞きたくもないレガシーな情報をつらつらと書き連ねて最後に初対面の人にはゆっちゃならんことをポロっと書き込む。これまた流石だ。

ネット社会には残念ながら明確なルールは無いし、主観や客観が入り混じっていることも承知だが、根本としてネットだろうがリアルだろうが、初対面の人に声をかける時くらいは大人であれば気をつけろよな。
客観的に自らを卑下するくらいの大人の余裕が無いとダメだろ。
くだらないコメントを書き込んでくる前に、あんた自身同じコメントを書き込まれた時どう感じるかくらい理解するコミュニケーション能力を身につけてから、Internetという双方向に行き交う情報をやり取りするコミュニケーションの場で意見を述べて欲しいもんだ。

まぁそんなわけで、この閉鎖的な日記は物理的にdroboがお釈迦になるまでは人知れずやって行くし、facebookやinstagram、twitter等のゆるゆるSNSは続けて行くつもり。
もうオープン過ぎるコンテンツへの投稿は一切止めようと思う。