SNSくらいがちょうどいいね

まぁInternet上に自らのコンテンツを投稿する時点で、丸裸で街をぶらつくのと同じということは理解していたつもりだが、実際ホントにうざいコメントや俺様はお前よりスゲーんだ的などーでもいい書き込みが多すぎて萎えたw
YouTube投稿もしばらく面白くてやってたけど、入ってくるコメントが気持ち悪すぎてさっきチャンネルごと削除しました。

ここのページは自前のdroboん中のCMSだし、httpsで超閉鎖的、おまけにGoogleの検索にすらヒットしないという完全防備と言っても差し支えないほど過疎ってるので都合が良い。
なのでちょっと書く。(←だいぶアタマにキテるw)

まず、相対的に言えることだがYouTubeというコンテンツは配信側はともかくとしてダラダラと視聴し続けている人間は間違いなくリア充ではない。
コメント入れる前に自分から発信・配信・投稿くらいしてみろっつーの。
だいたい見てるあんたの好みに仕上げたコンテンツがバラ撒かれていると思ったら大間違いだし、それを正そうとしてんのか、ソレを書き込むことが正義だと思ってんのか、主観的過ぎてマジ気持ちが悪い。
趣味趣向や考え、生き方、政治、宗教、年齢性別、世帯の有無も含め、人はそれぞれにすべてが乖離してたり受容できないのは当たり前で、世界は常にカオスなのだよ。
そうゆうことが分からないのだろう、、、恐らくだが友達は極めて少ないだろうし、社会的にも疎外感を感じているのだろうし、少なからずコミュニケーション能力が破滅的。
顕著なのは面識もなく初見で見ず知らずの某名性を盾に、こともあろうにいきなりdisりコメントを堂々と書き込むあたりは流石だな…と言わずにいられない。
また、技術系で人との接触に不慣れ(空気読めない系)と思しき人物は、何処のsourceからひっぱり出してきたのか、公然とお前の意見は間違っている、俺の意見が正しいとばかりに、そのカテゴリにおける経過年数、精通度、熟練度、聞きたくもないレガシーな情報をつらつらと書き連ねて最後に初対面の人にはゆっちゃならんことをポロっと書き込む。これまた流石だ。

ネット社会には残念ながら明確なルールは無いし、主観や客観が入り混じっていることも承知だが、根本としてネットだろうがリアルだろうが、初対面の人に声をかける時くらいは大人であれば気をつけろよな。
客観的に自らを卑下するくらいの大人の余裕が無いとダメだろ。
くだらないコメントを書き込んでくる前に、あんた自身同じコメントを書き込まれた時どう感じるかくらい理解するコミュニケーション能力を身につけてから、Internetという双方向に行き交う情報をやり取りするコミュニケーションの場で意見を述べて欲しいもんだ。

まぁそんなわけで、この閉鎖的な日記は物理的にdroboがお釈迦になるまでは人知れずやって行くし、facebookやinstagram、twitter等のゆるゆるSNSは続けて行くつもり。
もうオープン過ぎるコンテンツへの投稿は一切止めようと思う。

ステッカー

ステッカー、、、いわば 御札 だよね。
我々の子供の頃はお菓子のおまけだったり雑誌の付録だったり、ステッカーがやたら手に入って、使いみちがないもんだから冷蔵庫や勉強机にベタベタ貼ったよ。
誰かステッカーの有効活用を教えてくれ。

 

まぁ大人になってもMacBookの背面にベタベタ貼ったり、クルマに「ステッカーチューン」と称して、レーシングカーのステッカーだったり部品メーカーのステッカーを貼って個性を主張している方は多く見かける。
それはそれで何かを主張する手段であり証であるので、個人で楽しんでいただく分には全然問題無い、 が!
お願いだからクルマのリアウィンドウにしっかりベッタリと勝手に貼り付けられている
低燃費・低排出ガス認定ステッカー

まじヤメてください… (イタズラかよ)

もちろんだが、車検のステッカーだとか保管場所標章は貼付けは義務だからガマンするけど、あの低燃費・低排出ガス認定ステッカーを貼られると急に所帯じみるというかなんかそのぉ、冷蔵庫、炊飯器、洗濯機、ドライヤー、テレビ等々の家電品みたく 省エネ(←古い)感が出過ぎて正直ダサいと思うんだよね。
確かに貧乏臭い話だが燃費は大切よ、地球環境に対して低排出ガスというのは重要よ、それは分かるけど、そこまで燃費と地球環境に配慮してますよ!って主張する気はまったくないの。
だのに、あのステッカーったら剥がそうとしてもなかなか剥がれないし、中途半端な気持ちで剥がそうとして失敗するともっと恥ずかしい状態になってしまう。
折角カッコイイと思って買ったクルマなのに、ベタベタとアレを貼られると途端にメルセデスやBMWなどの外車でも、国産の高級車でもすべてホンダフィットみたいに見えちゃう。
頼むから自動車メーカーさん、あのダサダサステッカーは貼らないでくださいよ。

「いいね!」はいいね

自ら配信側にまわっていない人(所謂ROMってる)に多い配信者側へのディスりコメント。

申し上げにくいが配信というのは自分の感じたことをネット上にバラ撒いているだけで、ネットの向こう側の人に直接限定的に「こうすべき」だとか「これは間違っている」なんて云ってないのが核心だ。
そうした本質が分からないのだろう…、Internetが普及して久しいこの世の中でそうしたものが生のコミュニケーションだということ未だに理解出来ない人がいるようだ。
音楽を例に出せば、すべての音楽がすべての人に受け入れられる訳ではなく、同じ感覚の趣味趣向の人が気に入って聞けば良いのだ。
ビートルズが素晴らしいという感性の持ち主もいれば、ビートルズなんてという感性の持ち主もいる。
北島三郎が素晴らしいという感性の持ち主もいれば、北島三郎なんてという感性の持ち主もいる。
ヘビメタ、ハードロック、民族音楽、オルタナティブ、童謡、アニソン、レゲエ、クラシック、兎にも角にも感性と表現は多種多様。
わざわざ自分の意に反する曲を聴いてはディスるくらいならそもそも聴かなくてもいいのでは?と思う。

自身の子供を叱りつけるのならまだしも(それも既にエゴだが)、社会生活を営む上で赤の他人様をディスるという行為がとてつもなく残酷であるか考えたことがあるのだろうか?

何にせよ人は他人に拒否られたり非難されると「ムカッ」となるのは素直な感情で他人からディスられて「やっぱりそうだよな、俺が全部悪いよな」なんて毎度毎度感じていたら死んでしまう。
極論だが自らが常に正しいという感情こそが「自信」なのだ。

facebookは意外なほど永く続いているSNSで、良くも悪くも「いいね!」という中途半端で優しい意思表示という文化が根幹にある。
最近では時代の流れを反映してか他の種類も出現しているが「よくないね!」という表現はない。

過去にはこんな記事もあったようだが…

「よくないね!」したりディスりコメントを書くくらいなら閲覧しなきゃ良いわけだし、繰り返しになるが自分と真逆の感覚を持つ人間は同じ数だけいるのだから嫌悪感を抱いたり気持ちが悪くなるのなら今すぐブロックすればいいのだと思うけどね。

乾燥中に思うnew balanceの感想

只今、new balance M996とM996MRLを洗濯乾燥させながら自分なりのnew balanceシューズ各モデルについて所感を綴ります。
たかがスニーカーですが…

(奥がM996 手前がM996MRL)

いつの頃からか普段履きのスニーカーはnew balanceばかり履いている。
一番の理由は楽であるということと合わせやすいデザイン。
時に「お?」と目を引くデザインのものを履きたくなるが、年を取ったせいもあり安定感と無難さを優先する。
今までnew balanceの各モデルで履いたことがあるのは
M574
M996MRL
M996
M1400


そして今回買ったM990

5つのモデルを履いて総合得点最上位はM996を差し置いて無いと思う。
履き心地、クッション性、ファッション性、耐久性、無難さ、どれをとっても満点に近い。
やや細身のラスト(木型)にカラーはグレー、かかとのシッカリ感と包まれ感、クッション性は素晴らしいものがある。
「new balaceのオススメは?」と聞かれれば、間違いなくM996をオススメする。

M574はとても履きやすい。(今まで何度も買い替えた)
流石普及モデルで一番売れているだけある。
ラルフ・ローレンがM1300を絶賛し「まるで雲の上を歩いているようだ」と言ったらしいが、M574は「まるで素足で歩いているよな感覚だ」とヒロシは言わせてもらう。
良いところを挙げるにしてもエントリーモデルであるが故に特筆すべき点が無いのだが、不思議とどこまでも歩いて行けるというか、ダラダラ長時間歩いていても靴を履いて歩いている感覚が薄い。
M1300のようにフワフワしているとか包まれているという感覚は少ない無いのだが、履けば履く程、履いてる感が無いのが良いところ。

M996MRL
ふむ。。非常に評価が難しいというか、M996に寄せてきているのは分かるが、そこまでの域には達していないとゆーか、M996のナンバリングを冠している期待感が邪魔をしてしまって残念感が露呈する。
見た目だけはほぼM996だが履いて分かる、、、いや履いてM996と比べると低クッション性と安定感の無さが目立ってしまう。
恐らくM996と履き比べなければ良いモデルなんだと思うのだけれど、ひょっとするとM574より総合点では低いかもしれない。。。

どどーん、ド定番フラグシップモデルM1400

そしてフラグシップのM1400
これ 期待度MAXな割に「?」が点いてしまうモデル。
まぁ個人差(体格や体重)もあり、これが正しい評価に値するかどうかは別として「フラグシップの割に」を枕詞に付けておこう。
ラストは細身で履きやすいM996に準じているかと思いきや、意外や意外 M574に近い幅広ラスト。
クッション性が良いだけにM574のそれより若干ルーズに感じるのが大変惜しい気がする。
new balance専門店の方にこの感想を伝えると
「確かにM996は皆さん絶賛されますが、M1400は好き嫌いは分かれると思います」とのこと。

 

なんだろうなぁ〜 ネットの口コミやレビューなど値段(2万円強)につられてなのか、ホントに皆さんそんな感覚なのか悪く言う方は驚くほど皆無で、誰しも絶賛M1400なのが不思議である。
ただし、見た目とnew balanceマニア、「コレは良いものだ」という潜在意識機が働いている人には、燦然と輝く「1400」の文字はタマラナイのだと思う。

そんなガッカリ感たっぷりのレビューをしておきながら、今回 嫁さんの誕生日プレゼントにはM1400を贈り(色違いのやつ)つつ、買うつもりが全く無かったのに買わずにいられなかったのがM990(1stモデル)である。

ずどど〜ん!M990(1stモデル)
今までnew balanceのいろんなモデルを履いてきましたが一番驚き感動した。
素晴らしい!のヒトコトだ。

ソールを見るとラストがM574やM1400を彷彿とさせるが、ナンバリングが900番台だけあり細身で履きやすい。

上から順にM990、M1400、M996

M990

M1400

M996

履き心地はラルフ・ローレン(M1300)と以下同文w
フワフワではなくフワッフワかな
踵のスタビライザーもコンモリしていて「N」マークのロゴも太ロゴでリフレクター無しのやつ。とても無骨でシンプル。
そしてなんだろうか履いた時のこのシーソー感。(ギッコんバッコン)
歩く時に体重移動だけで足が前に出るとゆーか、「歩く」という気持ちさえあれば足がひとりでに出るこの不思議な感覚。
900番台の始祖(1st)であり、その後の発展してゆく1000番台の基盤となったモデルだけあり、隙が無く今まで履いてきたシリーズのネガが見当たらない。
唯一の欠点といえば流通量の少なさとニッチさくらいだろうか。
末永く履きつぶしたいと思っている。