諦めてからが人生だ

人の一生というのは想像するより遥かに長い。
幼い頃 おぼろげに、このまま大学行って就職して彼女が出来て結婚して子供が出来て家建てておじいちゃんになって惜しまれつつ死ぬんだろうな…って思ってたけど、現実は想像と全然違う人生だし、もっといえば「おじいちゃんになって惜しまれつつ死ぬ」までに物凄く時間がある。
惜しまれないかもしれないしな…

その壮絶かつ生きる意味さえ未だに分からないhilo4だが、老眼だけは確実に進行していて、前回のエントリーにもあげたけど、AppleWatchはただの見難いデジタル時計になってしまったわけである。
歳を取ると新鮮味に欠けるというが、そんなことはない、、今なお未体験のカラダの不調を乗り越えるための駄作という打開策を模索している。

見えないのなら見なきゃ良い。

Qu’ils mangent de la brioche

である。

そうなのだ、もう老眼は治らない、どんどん進行する呪いならばスマホもAppleWatchもあきらめて、昔みたいに機械式腕時計とシステム手帳に変えてみたら良いジャマイカ!と諦めていた。
が、諦めてからが人生 なのである。

普段メガネはRaybanを好んでかけている。
自他共認める東洋人顔のくせしてRaybanとは笑えるが、んなこたぁ関係無い。 Raybanはサングラスで有名ですが、普段使いのメガネにもかけやすく疲れない。なによりレンズがデカイところがミソなのだ。

天地が低いフォックス型のモデルやボストン、オーバル、様々なラインアップの中でお気に入りはサーモント型のクラブマスター。
所謂おっさんメガネだ。
こいつは天地がたっぷりあってクリップオンでサングラスにも利用しているので、クルマの運転や仕事やプライベートでのメガネとして生活の8割はこいつで過ごしていると言っても過言ではない。
おっさんになってくると、自然と定番モデルをリピートしたりして特定メーカーに固執しがちだが、それはそれなりにメリットがあるからなのだ。

クラブマスターはブラックモデルを主にクルマ運転用と普段使いにブラウンモデルをしている。
ここのところ時折 右目の視力が怪しくなってきたのもあり、視力を測り直してレンズ交換だけしてみようと隣のAEONの中にあるメガネ屋さんに行ってみた。
検眼をしてサクサクとレンズだけ注文して帰ってこようと思っていたし、ちょうど昼飯ついでだったので空いているであろうと予想して飛び込んだところ、人生とはハプンの連続なのだよ。

 

「ご主人は今 老眼 キテませんか?」

なんだこの人、ひょっとして預言者??
ズバリ言い当てたその店員は、私のカルテを見ながらそういった。
「ええ、まぁキテるどころがもう諦めの境地ですわ」
そう言うと、その言葉を待ってましたとばかりに、

「ご主人、ちょっとお値段はハリますが、是非遠近両用のレンズ入れてみてください!」

う…、、 ただ昼飯ついでにフツーのレンズに変えたいだけなんだけど…
そう思ったが、あえて「お値段ハリますが」という真摯なセリフに心を動かされ、取り敢えず話だけは聞いてみた。

老眼は65歳くらいで止まること
40歳前半から10歳刻みで老眼が進行すること
近視と遠視で老眼のレンジ幅が違うこと
安いレンズ(遠近)は使い物にならないこと
メガネのフィッティングが大切なこと
もっとじじいになると老眼を通り越し白内障の手術のついでに裸眼になれること

なんだかスンゲー納得しちゃったw
そうなんです、今(43〜65歳)が耐え時なんです。
しかもある程度の値段のはるレンズとメガネのフィッティングによって、劇的に遠近両用メガネの使い勝手が向上とか。。。

検眼して度数を合わせ御覧ください!!

うわぉ!♡

か、か、買います!

(↑ お支払の図)

というワケで、昼飯ついでに寄ったメガネ屋で4万円弱の出費でございます。
見事にヤラレましたね。。。

けど、本当に以前作った遠近両用メガネのそれとは違い、見やすい、歪んでない、疲れない、とても便利 だということがわかりました。
スマホもAppleWatchもパソコン作業も仕事の時の書類作成も全部全部諦めていましたが、ちゃんとしたお店でちゃんとした調整をして遠近両用メガネを購入すれば、諦めることは無かったのかもしれません。

あとは65歳の誕生日を諦めず無事に迎えられるよう頑張ろうと思います。

歳をとると三猿になる

見ざる言わざる聞かざる

三猿

結論として、歳をとると自然に三猿になるのだな… いや、違う
若さを失ってしまったのかもしれない。。。(‧⃘︠˾ͨ̅‧⃘︡˒᷅̈́)

気がつけば結構な歳をとってしまって気がつくワケです。
昨今は多種多様な文化や感性を持つ人々が己の考えを全世界に向けて垂れ流し共有するSNS全盛時代でございます。
老若男女が日々の細やかな喜怒哀楽をどうでも良い人達と共有するという不思議な時代に突入をしていますが、それはそれで参加せずにはいられないのでボチボチやっております。
ま、そこでの所作としては三猿なんですよ。

見ざる言わざる聞かざるには諸説ありますが、よーは「他人様の傷付くことや面倒なことはワザワザ見なくても良い、言わなくても良い、聞かなくても良い」ってことなんですな。
炎上だ、不適切だ、ハラスメントだと色々と問われるこの時代なのにその火種であるSNSが大繁盛という笑っちゃう世の中です。
facebook、twitter、YouTubeはもとより、写真ありきのinstagramですら投稿した画像に対し、見ず知らずの人が無意識にディスるコメントを入れているw。
もしかしたらそうゆう人は、めちゃめちゃウォームハートで他人に助言せずにはいられない優しい性格なのかもしれませんが、最低限 他人のページやコメント欄にはマナーとして褒める言葉か「いいね!」で、それ以上のことは心のどこかにしまっておいたほうが適宜だと思います。
それは今後関係を続ける続けないに関わらず、あくまで自分以外は他人だという根本的な認識は大人であるならば必要だ。

 

私はこういう風に思います。
—-

と、自分が一生懸命書いた自由研究ノートに突如として
「あなたの意見はおかしいよ」とか
「それはダメですね」とか
「私が正しいことを教えてあげますよ」とかって、
見も知れない(知り合いでも同じことだけどな)他人に書き込まれたら誰だって不愉快な気持ちになったり心が傷ついたりしますよね?
「オレは傷つかない!」ってゆうアイアンハートを持ってる人もまぁ少なからず世の中にはいるんでしょうけども、自分の行動や自分の意見を他人から否定や是正されることを多くの人は嫌がります。
ソレは人として自然な感情ですし、生きるうえでもっとも重要な自我を維持する上では大切な防衛本能です。
端的に書き込むなとか人に意見するなとか言っているんぢゃないんです。
ただ、まずは肯定、いいね!からスタートするのがマナーだと思うんですね。
広い世の中ですから明らかに「あぁ〜あ、、、」って思えることをしてる人もいますよ、、、 それでもその人のことをあまり知らない自分が、その人に対して本当の意見を言ってしまうことがそもそも破綻の原因なんです。
正義かなにかワカンナイけど、それを振りかざすことってホントに正義なの?って思います。
いいじゃん全部「いいね!」で。もしくはそう思わなければ「いいね!」しなきゃ良いんだし。

歳とともに、次第にそうゆうことが億劫になってくる。
人と意見を交わすのも面倒だし、人の行動を諌めることも、人の趣味に関して興味を持つことも。
だから老人って言われるようになるのかもしれないね。w

その昔、ゲートボール殺人事件ってのがあったけど、まさにアレはソレで、
かなりの年齢をかさねたのにゲートボールのプレイに関してチーム仲間に意見したり、否定したり是正したりするもんだから、良い歳こいてケンカしたり仲違いしたり果ては殺……、、、ってことになるんだよね。

もうダメだ AppleWatchに表示される項目が老眼で見えない

今年でふぉーてぃーせぶんなhilo4ですが、この時点で既に老眼だから、次はヒザの痛み、更年期、痴呆症、最期にはホームという幸せな末路を辿るのは目に見える事実であります。
子供の頃、オヤジの姿を見て「何故オッサンはああなのか?」と不思議に思いましたが、不思議でもなんでもなく自然現象である、、、ということです。

さてアタクシ、「新しもの好き」と自らを評しておりましたが、老眼の前には為す術もなく、あれだけ絶賛したAppleWatchも今ではただの見難いデジタル時計に変わりました。
39mmモデルを所有していますが、恐らく42mmモデルでもAppleWatchに表示される文字は目の手術(老眼の)でもしない限り見えなし、もっと大きなiPhone、Macの画面ですら、メガネを外さないと見難くて仕方が無いので、高精細な有機ELディスプレイだろうが、革新的なホニャララなディスプレイだろうが、兎に角目視困難なのです。

なので、AppleWatch導入前の状態に生活を変えようかな?なんてことを画策しておりまして、目視できないAppleWatchよりも見やすいバーインデックスの機械式腕時計がこの老眼という解けない呪いと付き合っていくには適宜かな?と思うワケです。

【老眼ぢゃなかったころのAppleWatchの便利なところ】
1.iPhoneからの通知がAppleWatchで確認出来る。
2.AppleWatch単体(Cellularモデル)で電話着信、架電できる。
3.人に自慢出来る。
4.suicaでキャッシュレス
5.時間はいつでも正確

というメリット盛りだくさんのAppleWatchだったんですが、もう1.〜5. のメリットなんてどーでも良い。
時間が分かってiPhoneに通知が有っても見なきゃ良いだけだ!

SNSくらいがちょうどいいね

まぁInternet上に自らのコンテンツを投稿する時点で、丸裸で街をぶらつくのと同じということは理解していたつもりだが、実際ホントにうざいコメントや俺様はお前よりスゲーんだ的などーでもいい書き込みが多すぎて萎えたw
YouTube投稿もしばらく面白くてやってたけど、入ってくるコメントが気持ち悪すぎてさっきチャンネルごと削除しました。

ここのページは自前のdroboん中のCMSだし、httpsで超閉鎖的、おまけにGoogleの検索にすらヒットしないという完全防備と言っても差し支えないほど過疎ってるので都合が良い。
なのでちょっと書く。(←だいぶアタマにキテるw)

まず、相対的に言えることだがYouTubeというコンテンツは配信側はともかくとしてダラダラと視聴し続けている人間は間違いなくリア充ではない。
コメント入れる前に自分から発信・配信・投稿くらいしてみろっつーの。
だいたい見てるあんたの好みに仕上げたコンテンツがバラ撒かれていると思ったら大間違いだし、それを正そうとしてんのか、ソレを書き込むことが正義だと思ってんのか、主観的過ぎてマジ気持ちが悪い。
趣味趣向や考え、生き方、政治、宗教、年齢性別、世帯の有無も含め、人はそれぞれにすべてが乖離してたり受容できないのは当たり前で、世界は常にカオスなのだよ。
そうゆうことが分からないのだろう、、、恐らくだが友達は極めて少ないだろうし、社会的にも疎外感を感じているのだろうし、少なからずコミュニケーション能力が破滅的。
顕著なのは面識もなく初見で見ず知らずの某名性を盾に、こともあろうにいきなりdisりコメントを堂々と書き込むあたりは流石だな…と言わずにいられない。
また、技術系で人との接触に不慣れ(空気読めない系)と思しき人物は、何処のsourceからひっぱり出してきたのか、公然とお前の意見は間違っている、俺の意見が正しいとばかりに、そのカテゴリにおける経過年数、精通度、熟練度、聞きたくもないレガシーな情報をつらつらと書き連ねて最後に初対面の人にはゆっちゃならんことをポロっと書き込む。これまた流石だ。

ネット社会には残念ながら明確なルールは無いし、主観や客観が入り混じっていることも承知だが、根本としてネットだろうがリアルだろうが、初対面の人に声をかける時くらいは大人であれば気をつけろよな。
客観的に自らを卑下するくらいの大人の余裕が無いとダメだろ。
くだらないコメントを書き込んでくる前に、あんた自身同じコメントを書き込まれた時どう感じるかくらい理解するコミュニケーション能力を身につけてから、Internetという双方向に行き交う情報をやり取りするコミュニケーションの場で意見を述べて欲しいもんだ。

まぁそんなわけで、この閉鎖的な日記は物理的にdroboがお釈迦になるまでは人知れずやって行くし、facebookやinstagram、twitter等のゆるゆるSNSは続けて行くつもり。
もうオープン過ぎるコンテンツへの投稿は一切止めようと思う。

GW前なのに… 壊れました

X100F大好き!
新しもの好きで移り気、ほんとヤダわね…と言われても仕方がないですが、このX100Fだけは飽きずに使っとります。はい。

昨日17:30頃事件が発生しました。
X100Fの目玉でもあるアドバンストハイブリッドビューファインダーが壊れました… (´;ω;`)
ずっとファインダーに黒幕がかかったまま。。。

 

このアドバンストハイブリッドビューファインダー(←長ぇよ)は光学ファインダー(OVF)と電子ビューファインダー(EVF)を切り替えられる便利な機能。
コレが要らなければX-T2でもX-E3でもT-20でもなんでも良いわけだ。
実際のところAVF(アドバンストハイブリットファインダー)は便利で使ってるかと言われば使ってませんが、やっぱりカメラと言えばファインダーを覗いた時にその先の「像」が見えないとなんか気持ちが悪いのだ。

さて、これはもう修理しかないよね。
と買った時の保証書を見てみると2017/3/15。見事に1年のメーカー保証切れてます。
うむむむ。。。
GW前にまた出費かよ、と少々ガックリしておりましたがハタ(・∀・)と思い出しました。
前回保証期間切れの前に同じ箇所(ファインダー)のクリーニングをFujiFilmにお願いしたっけ?と大事BOXをゴソゴソしてみたら出てきましたよ〜ん。

修理受付2017/12/08

この修理報告書の末筆には、「6ヶ月以内に同修理箇所に不具合を生じた場合 修理保証がつきます」と謳ってある。
FujiFilmの修理サポートセンターに問い合わせたところ、OK!いただきましたのでこのまま無償修理です。(๑•̀ㅂ•́)و✧
だが修理には1週間程度時間がかかるとのことで、この大型連休も相まって修理完了は5月半ば。嗚呼、ツライ。
ま、X-Pro2あるからなんとかモチコタエルけどさ、やっぱりX100Fだよな。

ステッカー

ステッカー、、、いわば 御札 だよね。
我々の子供の頃はお菓子のおまけだったり雑誌の付録だったり、ステッカーがやたら手に入って、使いみちがないもんだから冷蔵庫や勉強机にベタベタ貼ったよ。
誰かステッカーの有効活用を教えてくれ。

 

まぁ大人になってもMacBookの背面にベタベタ貼ったり、クルマに「ステッカーチューン」と称して、レーシングカーのステッカーだったり部品メーカーのステッカーを貼って個性を主張している方は多く見かける。
それはそれで何かを主張する手段であり証であるので、個人で楽しんでいただく分には全然問題無い、 が!
お願いだからクルマのリアウィンドウにしっかりベッタリと勝手に貼り付けられている
低燃費・低排出ガス認定ステッカー

まじヤメてください… (イタズラかよ)

もちろんだが、車検のステッカーだとか保管場所標章は貼付けは義務だからガマンするけど、あの低燃費・低排出ガス認定ステッカーを貼られると急に所帯じみるというかなんかそのぉ、冷蔵庫、炊飯器、洗濯機、ドライヤー、テレビ等々の家電品みたく 省エネ(←古い)感が出過ぎて正直ダサいと思うんだよね。
確かに貧乏臭い話だが燃費は大切よ、地球環境に対して低排出ガスというのは重要よ、それは分かるけど、そこまで燃費と地球環境に配慮してますよ!って主張する気はまったくないの。
だのに、あのステッカーったら剥がそうとしてもなかなか剥がれないし、中途半端な気持ちで剥がそうとして失敗するともっと恥ずかしい状態になってしまう。
折角カッコイイと思って買ったクルマなのに、ベタベタとアレを貼られると途端にメルセデスやBMWなどの外車でも、国産の高級車でもすべてホンダフィットみたいに見えちゃう。
頼むから自動車メーカーさん、あのダサダサステッカーは貼らないでくださいよ。

包み紙は大切

トヨタはキライだが払ったマネーバリューを製品に活かしているのは素晴らしい。
トヨタがキライというと怒られるので冒頭に訂正します。
ただのアンチトヨタですw

ココ数年トヨタブランドのクルマに乗ってます。

それまでは
ホンダシビック
日産マーチ
ユーノスロードスター
日産ウィングロード
ホンダHR-V

結婚して子供が生まれ幼稚園に通う頃に、(今はトヨタの完全子会社になった)中古のダイハツストーリアを買いました。
その後、トヨタプログレ、今はレクサスIS250。
こだわりとしてはトヨタ系もしくはトヨタが作ったクルマなんですが、一切トヨタのエンブレムが付いてるクルマに乗ってないのがアンチなところです。

さて、なんでそんな話なん?と首を傾げてらっしゃると思いますが、奥方がこの度 MAZDAのCX-8プロアクティブをお買いになりました。
オプションをポチポチと付け、ホンダステップワゴン(RG1)を下取りに出し総額380万円でした。
クルマごときに人生の大半を持っていかれるのは好きではないので、アタクシは断然中古車派なんですが、奥様は新車派で且つそれをキャッシュで払ってしまわれる男気には脱帽です。

で、そのCX-8 のレビューかと思いきや、あらためてトヨタという大会社のパッケージング力に脱帽してしまったというお話です。
CX-8はイマドキの最新技術がてんこ盛りで、わーー とか、すごーーい ってなります。
ステアリングに付いているボタンをポチポチ押すだけで前のクルマを追従し、車間距離を程よくとり信号や曲がり角で前車の車速が落ちれば自動でスピードダウン、赤信号で停車すれば当然のように止まります。
嗚呼、2018年未来キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
(ハンドルアシスト機能付で半自動っぽいw)

ですが、そんな凄んごいCX-8も1個のクルマとしてみると10年前のレクサスIS250や15年前のプログレにかなり劣っている部分があるんです。
主に人が感じる部分ではありますがね…

CX-8は電動メモリーシートで前後上下ランバーサポートの10方向で調整可能、フロントガラスに情報表示するHUDも調整可能です。
違う人がシート位置を変えても手元のスマートキーでクルマを解錠すれば電動メモリーシートは元の位置に戻ります。
が、これですべてが完結しないのです。
シートは電動メモリー機能付なんですが、ステアリング、サイドミラーはいちいち再調整と手動機構(ステアリング)なんです。。。
つまり、ファーストドライバーとセカンドドライバー(例えば夫婦間)が入替る時、電動メモリーシートは適切な位置になりますが、その後 手動のステアリングテレスコをヨイショヨイショと調整し、再度のドアミラーもギュインギュインとモーターで調整する必要があるのです。
MAZDAは公式にCX-8は同社SUVラインナップのフラグシップです。とゆってんですけどね。
それからボンネット開けてから支える棒。
ダンパーではありません。未だに細っそい棒です。
更に部品共用のためかフロントウィンドウのワイパーが驚くほどひょろ長く細い。多分デミオと同じ部品なんでしょうね。
収納もデザイン重視の結果使い勝手は恐ろしく悪く、収納スペースはあれども異様に底深いセンターコンソール、異様に浅いドアポケット、極小の助手席ダッシュボード、チケットホルダー削除という、フツーに使い勝手悪しです。
まだ昨日1回だけハンドルを握ってこの違和感ですから、今後もマジですか?(´・ω・`) 的な要素はてんこ盛りだと思います。

 

一方トヨタは腐ってもと言っては失礼だが、手を触れるものや使い勝手や総合的な利便性は流石で、電動メモリーシートに連動してステアリング、ドアミラーも電動調整してくれるので、ドライバーチャンジしてもボタン1個で楽々。
重いボンネットもダンパーが付いてるし、収納も各所にあるし、細部の部品もそれ相応の車格に見合ったものが添えつけられており、「ん?ナニコレ」と思う節は無し。
巧みなパッケージングである。
これは違うと言われるかもしれないが、ちょうど米Apple社と同じく完成形のパッケージングを優先していると思う。
中の部品が自社部品だろーが他社部品だろーが技術やソリューションが他の流用であろうが、完成したものをエンドユーザーが手にして納得させるのが目標なんだと思う。
大型車のエンジンやレースで勝つエンジンはもっぱら親戚筋のYAMAHAの高出力ボートエンジン詰め込んでて、それもトヨタでんがな!として売ってるところが大企業っぽい。

かなりMAZDAのディスりになってしまったけど、それでも今回MAZDAが市場投入したCX-8は400万円払うだけの価値は有りだと思います。
ただ、400万円近く出すクルマで「あれ?」と思われるような部分は改修もしくは隠すべき(←良い意味で)だと思います。
トヨタは中身どうこうそうゆうもんは上手に隠してますw。

今日からアレクサです。ヨロシク

amazon echo アレクサシリーズは2回目の購入です。
1回目はまだ招待制だった頃のdotで、今回(2回目)は縦長のechoです。
dotはGoogleHomeMiniとの戦いに破れ、ちるにるす家に嫁ぎました。

相変わらず同じ(ような)モノを2回買う癖があり、カメラもそうだしこうしたガジェット類も痛い目を見てからもう1度買い足すコトが多いわけですw
1回目のdot vs GoogleHomeMini 対戦時に焦点になったのはサブスプリクション型の音楽シャッフル再生でした。
amazonは PrimeとUnlimited、dヒッツ、うたパス、AWA
GoogleHomeは GoogleMusic、Spotify
Appleのアップルポッド?はまだ国内販売はされていないけど、おそらくAppleMusic以外には対応していないと思う。
イマドキ音楽を聴き漁る方法としては所有楽曲より各社のサブスプリクションサービスを利用するのが適宜だと思いますが、それぞれに特色があり絞りきれないというのが正直なところ。
ただし、料金とバランスに着目すれば amazonUnlimited 月額380円が一番安く楽曲数も豊富です。
ならば1回目のamazon dot で良かったぢゃん?という疑問がフツフツと湧いてくると思いますが、まさにそーなんです。。。

GoogleHomeの特徴を一言で表せば 音声オペレーションの簡素さ です。
使いこなすことが出来れば amazon echo には豊富なスキルがあり利便性は高いのかもしれませんが、今なお音声オペレーションの不自由さは(どちらも)改善されておらず、音楽再生、ラジオ、天気予報、タイマー、目覚まし、だけに使用を限定すればGoogleHomeの方が扱いやすいと感じます。

ただし、サブスプリクション型のシャッフル音楽再生はその再生エンジンによって好みがかなり偏ります。
私の場合、Spotifyのシャッフル再生やチョイスが性に合っていたので月額980円とamazonUnlimitedの約3倍の料金でしたが、そこは目をつむって利用していました。

しかし、しばらくしてふと思ったのが、自分自身1日中音楽を宅内で聴いていられる環境か?ということです。
実質…

朝食作り
洗濯干し
午前中の事務作業中
夕飯作り
就寝前

くらいのもので、サービス店舗のようにUSEN的にずぅ〜と音楽を再生していることがあまりないことに気が付きました。
それから日中も音楽を聴きながら仕事をしていたい思うのですが、常に在宅の仕事でもないし、在宅していたとしても接客や顧客との電話対応中に音楽を轟かせながらというのはやはりマズい。
Spotifyのチョイスは今でもとても気に入っていますが、月額980円を上記のような理由で割り算すると、あまりコストパフォーマンスは良くない気がしてきました。
かと言ってワザワザechoを買い足すという選択肢はコストパフォーマンスの意味では本末転倒ですがね… (´・ω・`)

現在はSpotifyの月額サービスは解約しamazonUnlimited(echo専用)を契約、食卓テーブルにamazon echo 、仕事机の上にGoogleHomeMiniを置いています。
アレクサ!  OK Google! と呼びかけは2種類に成ってしまいましたが、なんとなく快適になった気がします。
それから1回目のamazon dot から amazon echo にしましたが、質感も音も dot より2グレード程アップした感じでとても満足。

もしかしたらApplePodも買うかも? というフラグを念のため立てておきますw

「いいね!」はいいね

自ら配信側にまわっていない人(所謂ROMってる)に多い配信者側へのディスりコメント。

申し上げにくいが配信というのは自分の感じたことをネット上にバラ撒いているだけで、ネットの向こう側の人に直接限定的に「こうすべき」だとか「これは間違っている」なんて云ってないのが核心だ。
そうした本質が分からないのだろう…、Internetが普及して久しいこの世の中でそうしたものが生のコミュニケーションだということ未だに理解出来ない人がいるようだ。
音楽を例に出せば、すべての音楽がすべての人に受け入れられる訳ではなく、同じ感覚の趣味趣向の人が気に入って聞けば良いのだ。
ビートルズが素晴らしいという感性の持ち主もいれば、ビートルズなんてという感性の持ち主もいる。
北島三郎が素晴らしいという感性の持ち主もいれば、北島三郎なんてという感性の持ち主もいる。
ヘビメタ、ハードロック、民族音楽、オルタナティブ、童謡、アニソン、レゲエ、クラシック、兎にも角にも感性と表現は多種多様。
わざわざ自分の意に反する曲を聴いてはディスるくらいならそもそも聴かなくてもいいのでは?と思う。

自身の子供を叱りつけるのならまだしも(それも既にエゴだが)、社会生活を営む上で赤の他人様をディスるという行為がとてつもなく残酷であるか考えたことがあるのだろうか?

何にせよ人は他人に拒否られたり非難されると「ムカッ」となるのは素直な感情で他人からディスられて「やっぱりそうだよな、俺が全部悪いよな」なんて毎度毎度感じていたら死んでしまう。
極論だが自らが常に正しいという感情こそが「自信」なのだ。

facebookは意外なほど永く続いているSNSで、良くも悪くも「いいね!」という中途半端で優しい意思表示という文化が根幹にある。
最近では時代の流れを反映してか他の種類も出現しているが「よくないね!」という表現はない。

過去にはこんな記事もあったようだが…

「よくないね!」したりディスりコメントを書くくらいなら閲覧しなきゃ良いわけだし、繰り返しになるが自分と真逆の感覚を持つ人間は同じ数だけいるのだから嫌悪感を抱いたり気持ちが悪くなるのなら今すぐブロックすればいいのだと思うけどね。

乾燥中に思うnew balanceの感想

只今、new balance M996とM996MRLを洗濯乾燥させながら自分なりのnew balanceシューズ各モデルについて所感を綴ります。
たかがスニーカーですが…

(奥がM996 手前がM996MRL)

いつの頃からか普段履きのスニーカーはnew balanceばかり履いている。
一番の理由は楽であるということと合わせやすいデザイン。
時に「お?」と目を引くデザインのものを履きたくなるが、年を取ったせいもあり安定感と無難さを優先する。
今までnew balanceの各モデルで履いたことがあるのは
M574
M996MRL
M996
M1400


そして今回買ったM990

5つのモデルを履いて総合得点最上位はM996を差し置いて無いと思う。
履き心地、クッション性、ファッション性、耐久性、無難さ、どれをとっても満点に近い。
やや細身のラスト(木型)にカラーはグレー、かかとのシッカリ感と包まれ感、クッション性は素晴らしいものがある。
「new balaceのオススメは?」と聞かれれば、間違いなくM996をオススメする。

M574はとても履きやすい。(今まで何度も買い替えた)
流石普及モデルで一番売れているだけある。
ラルフ・ローレンがM1300を絶賛し「まるで雲の上を歩いているようだ」と言ったらしいが、M574は「まるで素足で歩いているよな感覚だ」とヒロシは言わせてもらう。
良いところを挙げるにしてもエントリーモデルであるが故に特筆すべき点が無いのだが、不思議とどこまでも歩いて行けるというか、ダラダラ長時間歩いていても靴を履いて歩いている感覚が薄い。
M1300のようにフワフワしているとか包まれているという感覚は少ない無いのだが、履けば履く程、履いてる感が無いのが良いところ。

M996MRL
ふむ。。非常に評価が難しいというか、M996に寄せてきているのは分かるが、そこまでの域には達していないとゆーか、M996のナンバリングを冠している期待感が邪魔をしてしまって残念感が露呈する。
見た目だけはほぼM996だが履いて分かる、、、いや履いてM996と比べると低クッション性と安定感の無さが目立ってしまう。
恐らくM996と履き比べなければ良いモデルなんだと思うのだけれど、ひょっとするとM574より総合点では低いかもしれない。。。

どどーん、ド定番フラグシップモデルM1400

そしてフラグシップのM1400
これ 期待度MAXな割に「?」が点いてしまうモデル。
まぁ個人差(体格や体重)もあり、これが正しい評価に値するかどうかは別として「フラグシップの割に」を枕詞に付けておこう。
ラストは細身で履きやすいM996に準じているかと思いきや、意外や意外 M574に近い幅広ラスト。
クッション性が良いだけにM574のそれより若干ルーズに感じるのが大変惜しい気がする。
new balance専門店の方にこの感想を伝えると
「確かにM996は皆さん絶賛されますが、M1400は好き嫌いは分かれると思います」とのこと。

 

なんだろうなぁ〜 ネットの口コミやレビューなど値段(2万円強)につられてなのか、ホントに皆さんそんな感覚なのか悪く言う方は驚くほど皆無で、誰しも絶賛M1400なのが不思議である。
ただし、見た目とnew balanceマニア、「コレは良いものだ」という潜在意識機が働いている人には、燦然と輝く「1400」の文字はタマラナイのだと思う。

そんなガッカリ感たっぷりのレビューをしておきながら、今回 嫁さんの誕生日プレゼントにはM1400を贈り(色違いのやつ)つつ、買うつもりが全く無かったのに買わずにいられなかったのがM990(1stモデル)である。

ずどど〜ん!M990(1stモデル)
今までnew balanceのいろんなモデルを履いてきましたが一番驚き感動した。
素晴らしい!のヒトコトだ。

ソールを見るとラストがM574やM1400を彷彿とさせるが、ナンバリングが900番台だけあり細身で履きやすい。

上から順にM990、M1400、M996

M990

M1400

M996

履き心地はラルフ・ローレン(M1300)と以下同文w
フワフワではなくフワッフワかな
踵のスタビライザーもコンモリしていて「N」マークのロゴも太ロゴでリフレクター無しのやつ。とても無骨でシンプル。
そしてなんだろうか履いた時のこのシーソー感。(ギッコんバッコン)
歩く時に体重移動だけで足が前に出るとゆーか、「歩く」という気持ちさえあれば足がひとりでに出るこの不思議な感覚。
900番台の始祖(1st)であり、その後の発展してゆく1000番台の基盤となったモデルだけあり、隙が無く今まで履いてきたシリーズのネガが見当たらない。
唯一の欠点といえば流通量の少なさとニッチさくらいだろうか。
末永く履きつぶしたいと思っている。