再び漬けようと思っている

今、にわかに「らっきょうブーム」が来ている!とひとり小躍りしておるところです。

来てねーよ、

皆さん仰ることは間違いないかもしれませんが しかし、先ごろ小スペースでは有りますがSNS内でらっきょうが取り上げられ、らっきょう推進派のアタクシは積極的に書き込みをしたんでございますのよ。

後日この話題、生で髭って、、いや生でラジオ放送をしているひげフレディさんの番組にて取り上げられていますので是非お聞きください。

20180701ナマヒゲ SIDE-B

推進派というからには、らっきょうの消費量がバンパーねーわけで、ご覧の通り1kg漬たらっきょうはあと数週間でで底をつきかけている状態です。

(上の方にプカプカ浮いてるのはミョウガです)

らっきょう漬けは、前にもここに書きましたが意外なほど簡単に漬けられます。慣れれば10分くらいで漬けらちゃう感覚でお手軽ですから、是非とも皆さんらっきょう食べましょう。フツーにお勧めしてキモいですがね。てな訳でございまして、明日土曜日は息子の部活動の送迎の合間にまた別瓶に1kgらっきょうを漬け込んでやろうと画策中。

AEONの食材コーナーにも「洗いらっきょう」の在庫が少なくなって来ましたから急がないと一生後悔するぜ!

 

もうあのころには戻れない

タバコに初めて火を着けたのは高2の夏だったっけな。
バイト先の中華料理屋の店を閉めたあと同級生が自転車置き場で
「タバコ吸う?」
と差し出したPhilipMorrisスーパーライト。

それから29歳になるまでマイルドセブン、LuckyStrike、Marlboro、ハイライト、PEACE、いろいろ吸った。
最終的に落ち着いたのがセブンスター。
全盛期は1日一箱半くらい吸ってた。
ヤメた理由はその当時首ったけだった彼女はタバコが嫌いということ。

 

で、なぜだか今日、急にタバコが吸いたくなった。
今の御時世的に紙巻タバコをパッカパッカと吸える環境ではないこと、健康被害、副流煙等々の問題、それからガジェット好きということでIQOS買ってみた。
自転車置き場で初めて吸った時の背徳感、夏夜のどんよりした空気、灯る赤い火。
そんなどうでもいい感覚を思い出したくなったんだ。

だが、想像以上にとても口がマズい。超マズい。ってかキツイ。
身体も拒否ってる感じがする。
あの頃は背徳感と引き換えに得られた大きな快感があったけど、おっさんになった今では、コンビニで「4番のやつください」と言えば当たり前のように買えてしまう始末。
もうあの頃には戻れないんだな(笑)

とゆーわけで、お酒を飲むと喫煙者からタバコを1本100円で買う同級生のひでくんにLINEで連絡してあわよくばプレゼントしようと思う。
いらないのなら床屋さんにあげようっと。

独り言です… ただのw

最初はOLYMPUSのOM-D E-M5がそもそもの始まりだった。
その頃からOM-D E-M5 は5軸のボディ内手ブレ補正だったし、それが当たり前でスタートしたので、その後購入するカメラの第一条件としては

ボディ内手ぶれ補正機能

有りきで、勿論低価格という部分も踏まえつつ、PL-3やら、GR IVやら、OM-D E-M5M2やら、PENTAX K-3IIやら、KPやらを買い足していった。
だが今現在、ボディ内手ぶれ補正を持ったボディは1台も所有していない。

 

良くも悪くもFujiFilmのX100Fはボディ内手ぶれ補正(レンズ内も勿論無いけどw)もなく、交換不可の固定式35mmの単焦点レンズだし、APS-Cだし、コンデジなワケだけど、究極どのカメラよりも信頼しているし、お金に糸目を付けずに世界で1つだけカメラを選べと言われたら恐らくX100Fを選ぶだろう。
ただ人には絶対勧めないw
昔の68K Macみたいなものです。

自分にとって手ぶれ補正機能って一体なんだったんだ?

まぁそんなこと「なんだったんだ?」などと自問してみても、結論として自分の撮影スタイルにはあまり必要が無い機能だったんだと思う。
これは手ぶれ補正機能に頼らなくても撮った写真が1枚もブレていないということではなく、ブレていても写真だということだ。
ブレてたり、ボヤケてたりする写真の方が好みなのね。
解像度とか高精細とか高感度耐性の真逆であるけれど、プロの写真家でもないし、記録写真でもないので、数年後、数十年後、写真に飽きるか、写真そのものの在り方が変わった時に、自分が撮ったくだらない写真を見返して、

ああ、 コレね…

とニソニソと笑みを浮かべながら、あの頃の自分が何を考えて撮ったのか?を感じてみたいんだ。

それから、35mm

ズームレンズってのをあまり使わなくなった。
FujiFilm X-Pro2に100-400mmを付ける時はテレ端で、息子の陸上競技の試合を記録する時だったり、気が向いて遠くの鳥、月、飛行機、動物なんかを追っかける時くらいだ。
なんせズームは画角に迷いが生じる。

単焦点レンズでも35mm以外の焦点距離は自分にとっては扱いづらい。
スナップショットで35mmは最強で、「あ」と思ってシャッターを切るとそのまま「あ」の時のを収めることが出来る。
28mmだと「あ」、、、、 の後に小走りで被写体に近づいてシャッターを切るし、50mmでは既に近寄り過ぎている。
その関係もあってやっぱりX100Fなのだろう。

らっきょう漬けスキだろう?

男どもよ、

らっきょう漬けスキだろう?

発言や発表の自由が大いに許されていたのはいつの頃か。最近ではあまりにも(←ってのが曖昧だけど)度が過ぎる態度、行動、発言には◯◯◯◯◯ハラスメントというレッテルを貼られ、見ず知らずのやつからバッシングを受けるという恐ろしい時代に突入したね。
しかし、男どもよ、君たち らっきょう漬けスキだろう?

まぁコレが偏見ってゆうんだとお叱り受けるかもしれないが、偏見だから仕方がない。
兎に角らっきょう漬けがダイスキです。
以前は実家の親父がせっせとらっきょうを漬けててくれて、時折実家に帰ったときには瓶に詰めて分けてくれたんだけど、社会現象でもある高齢化っつーのになり、もう らっきょうは面倒だから漬けないんだってさ。
………な〜んてガッカリしてたら、昨年度は嫁さんのおかんの知り合いの友達のケーキ屋さん(←関係がややこしい)が、らっきょうを漬けたということでおすそ分けをいただき、ペロリと1週間くらいで食べちゃいました。
あれは本当に美味かった。ありがとうエリザベス。

だが、今年はそんな雰囲気も気配も無いから自ら漬けることにした。
古漬けはあんまり好きではないので、カリカリとみずみずしい感じで食べられる新漬け。
且つ、甘ったるぅ〜いのも好きではないので、砂糖少なめ塩ちょい多めの味付けのhilo4オリジナルブレンド汁で漬けてみました。
3日から1週間くらいで食べられるようになるらしいので、来週が楽しみになってきました。

自分らしくでいいじゃん ビバまいすたいる!

シールの話

しつこいですがシールの話です。はい。

近年のカーディーラーの対応がそーなのか、それともメーカーの違いなのか、いずれにせよ今回我が家で購入したMAZDA CX-8 のリアウィンドウには、あの忌々しい性能表示シールやらディーラーのシールもなく、カタログで見るソレそのまんまのリアビューでとっても好感がもてる。

そもそも炊飯器や冷蔵庫に貼り付けてある、消費電力○○%削減 とか、両開き とか、Wおどり炊き などという余計な性能表示シールって、開封時に剥がすぢゃない?(剥がさない人もいるかも)言ってみればゴミなんですよ。
だいたい購入前に、そうした性能を鑑みて購入に至るわけで、開封時にコレどーですかー?! みたいに貼り付けられていること無駄だと思うんだよね。
ましてや、5年〜10年くらい常用するクルマの、大型で他人から目視されやすいリアウィンドウに排ガス50%削減だの、エコカーだの、ディーラーのシールだの、めちゃくちゃ迷惑ですわ。
広告宣伝費をもらって無いのに宣伝をさせられる身にもなれっつーのw

とあるご年配の方にこの話をしたらば、あのシールを貼っておかないと税金が高くなるとか車検通らないとか、どこでどんな催眠術をかけられたのか、アレを剥がすと違反!くらいの意識があるらしいです。
ま、いいけどね。

ともかく、シールを貼るのは小学校低学年まで!だ。

諦めてからが人生だ

人の一生というのは想像するより遥かに長い。
幼い頃 おぼろげに、このまま大学行って就職して彼女が出来て結婚して子供が出来て家建てておじいちゃんになって惜しまれつつ死ぬんだろうな…って思ってたけど、現実は想像と全然違う人生だし、もっといえば「おじいちゃんになって惜しまれつつ死ぬ」までに物凄く時間がある。
惜しまれないかもしれないしな…

その壮絶かつ生きる意味さえ未だに分からないhilo4だが、老眼だけは確実に進行していて、前回のエントリーにもあげたけど、AppleWatchはただの見難いデジタル時計になってしまったわけである。
歳を取ると新鮮味に欠けるというが、そんなことはない、、今なお未体験のカラダの不調を乗り越えるための駄作という打開策を模索している。

見えないのなら見なきゃ良い。

Qu’ils mangent de la brioche

である。

そうなのだ、もう老眼は治らない、どんどん進行する呪いならばスマホもAppleWatchもあきらめて、昔みたいに機械式腕時計とシステム手帳に変えてみたら良いジャマイカ!と諦めていた。
が、諦めてからが人生 なのである。

普段メガネはRaybanを好んでかけている。
自他共認める東洋人顔のくせしてRaybanとは笑えるが、んなこたぁ関係無い。 Raybanはサングラスで有名ですが、普段使いのメガネにもかけやすく疲れない。なによりレンズがデカイところがミソなのだ。

天地が低いフォックス型のモデルやボストン、オーバル、様々なラインアップの中でお気に入りはサーモント型のクラブマスター。
所謂おっさんメガネだ。
こいつは天地がたっぷりあってクリップオンでサングラスにも利用しているので、クルマの運転や仕事やプライベートでのメガネとして生活の8割はこいつで過ごしていると言っても過言ではない。
おっさんになってくると、自然と定番モデルをリピートしたりして特定メーカーに固執しがちだが、それはそれなりにメリットがあるからなのだ。

クラブマスターはブラックモデルを主にクルマ運転用と普段使いにブラウンモデルをしている。
ここのところ時折 右目の視力が怪しくなってきたのもあり、視力を測り直してレンズ交換だけしてみようと隣のAEONの中にあるメガネ屋さんに行ってみた。
検眼をしてサクサクとレンズだけ注文して帰ってこようと思っていたし、ちょうど昼飯ついでだったので空いているであろうと予想して飛び込んだところ、人生とはハプンの連続なのだよ。

 

「ご主人は今 老眼 キテませんか?」

なんだこの人、ひょっとして預言者??
ズバリ言い当てたその店員は、私のカルテを見ながらそういった。
「ええ、まぁキテるどころがもう諦めの境地ですわ」
そう言うと、その言葉を待ってましたとばかりに、

「ご主人、ちょっとお値段はハリますが、是非遠近両用のレンズ入れてみてください!」

う…、、 ただ昼飯ついでにフツーのレンズに変えたいだけなんだけど…
そう思ったが、あえて「お値段ハリますが」という真摯なセリフに心を動かされ、取り敢えず話だけは聞いてみた。

老眼は65歳くらいで止まること
40歳前半から10歳刻みで老眼が進行すること
近視と遠視で老眼のレンジ幅が違うこと
安いレンズ(遠近)は使い物にならないこと
メガネのフィッティングが大切なこと
もっとじじいになると老眼を通り越し白内障の手術のついでに裸眼になれること

なんだかスンゲー納得しちゃったw
そうなんです、今(43〜65歳)が耐え時なんです。
しかもある程度の値段のはるレンズとメガネのフィッティングによって、劇的に遠近両用メガネの使い勝手が向上とか。。。

検眼して度数を合わせ御覧ください!!

うわぉ!♡

か、か、買います!

(↑ お支払の図)

というワケで、昼飯ついでに寄ったメガネ屋で4万円弱の出費でございます。
見事にヤラレましたね。。。

けど、本当に以前作った遠近両用メガネのそれとは違い、見やすい、歪んでない、疲れない、とても便利 だということがわかりました。
スマホもAppleWatchもパソコン作業も仕事の時の書類作成も全部全部諦めていましたが、ちゃんとしたお店でちゃんとした調整をして遠近両用メガネを購入すれば、諦めることは無かったのかもしれません。

あとは65歳の誕生日を諦めず無事に迎えられるよう頑張ろうと思います。

歳をとると三猿になる

見ざる言わざる聞かざる

三猿

結論として、歳をとると自然に三猿になるのだな… いや、違う
若さを失ってしまったのかもしれない。。。(‧⃘︠˾ͨ̅‧⃘︡˒᷅̈́)

気がつけば結構な歳をとってしまって気がつくワケです。
昨今は多種多様な文化や感性を持つ人々が己の考えを全世界に向けて垂れ流し共有するSNS全盛時代でございます。
老若男女が日々の細やかな喜怒哀楽をどうでも良い人達と共有するという不思議な時代に突入をしていますが、それはそれで参加せずにはいられないのでボチボチやっております。
ま、そこでの所作としては三猿なんですよ。

見ざる言わざる聞かざるには諸説ありますが、よーは「他人様の傷付くことや面倒なことはワザワザ見なくても良い、言わなくても良い、聞かなくても良い」ってことなんですな。
炎上だ、不適切だ、ハラスメントだと色々と問われるこの時代なのにその火種であるSNSが大繁盛という笑っちゃう世の中です。
facebook、twitter、YouTubeはもとより、写真ありきのinstagramですら投稿した画像に対し、見ず知らずの人が無意識にディスるコメントを入れているw。
もしかしたらそうゆう人は、めちゃめちゃウォームハートで他人に助言せずにはいられない優しい性格なのかもしれませんが、最低限 他人のページやコメント欄にはマナーとして褒める言葉か「いいね!」で、それ以上のことは心のどこかにしまっておいたほうが適宜だと思います。
それは今後関係を続ける続けないに関わらず、あくまで自分以外は他人だという根本的な認識は大人であるならば必要だ。

 

私はこういう風に思います。
—-

と、自分が一生懸命書いた自由研究ノートに突如として
「あなたの意見はおかしいよ」とか
「それはダメですね」とか
「私が正しいことを教えてあげますよ」とかって、
見も知れない(知り合いでも同じことだけどな)他人に書き込まれたら誰だって不愉快な気持ちになったり心が傷ついたりしますよね?
「オレは傷つかない!」ってゆうアイアンハートを持ってる人もまぁ少なからず世の中にはいるんでしょうけども、自分の行動や自分の意見を他人から否定や是正されることを多くの人は嫌がります。
ソレは人として自然な感情ですし、生きるうえでもっとも重要な自我を維持する上では大切な防衛本能です。
端的に書き込むなとか人に意見するなとか言っているんぢゃないんです。
ただ、まずは肯定、いいね!からスタートするのがマナーだと思うんですね。
広い世の中ですから明らかに「あぁ〜あ、、、」って思えることをしてる人もいますよ、、、 それでもその人のことをあまり知らない自分が、その人に対して本当の意見を言ってしまうことがそもそも破綻の原因なんです。
正義かなにかワカンナイけど、それを振りかざすことってホントに正義なの?って思います。
いいじゃん全部「いいね!」で。もしくはそう思わなければ「いいね!」しなきゃ良いんだし。

歳とともに、次第にそうゆうことが億劫になってくる。
人と意見を交わすのも面倒だし、人の行動を諌めることも、人の趣味に関して興味を持つことも。
だから老人って言われるようになるのかもしれないね。w

その昔、ゲートボール殺人事件ってのがあったけど、まさにアレはソレで、
かなりの年齢をかさねたのにゲートボールのプレイに関してチーム仲間に意見したり、否定したり是正したりするもんだから、良い歳こいてケンカしたり仲違いしたり果ては殺……、、、ってことになるんだよね。